年末に父が入院しました。
現在もまだ入院中です。
来月の12日で92歳になります。
2020年10月に母が他界して、ひとりで頑張ってきました。
新型コロナの流行期は面会などは行けなかった時期があったと思いますが、
今はインフルエンザの対応で回数制限がありますが、面会は可能になっているので
全く顔が見れないわけではないので、仕事の合間に行っています。
父は戦争を体験し、被爆を体験してきています。
15年前に私たちが知らないときに、体験を長崎新聞に掲載されていたようです。
この掲載を見つけたときに、父の幼いころの体験を、もっと聴いておけばよかったと
思いました。
ここ数年は聴力が衰え、中々会話をするのも大きな声を出さないと聞こえないので、
こちらが疲れて、話しかけるのが少なくなっていました。
会っても、意見が違って喧嘩ばかりしていました。
ある意味で喧嘩ができるってことはまだいいかと私は感じて、嫌な気はしませんでした。
人生100年とどこかの政治家が言っていますが、誰かの世話になって、バラマキのような
お金で生計を楽に・・本当に人生100年がどれほどのものなのか政治家は誤認している
現在90前後の方は戦後のまさに0からの今日を迎えている。
その方々が100歳を迎えるから人生100年と言っている。
では、その子ども世代の現在70代前半の方はどうでしょうか。
のぼり景気の時代を生きてきて、迎える25年後の100歳。
ずいぶん違った100歳の皆さんになると思います。
私は100年とは言いませんが、何歳であってもどんな人生を歩んできたのかが最も大事で、
そこにその人らしさがあって、家族があるなら、その家族らしさがあると思っています。
では、タイトルにある、親の代から、子の代に引き継がれるもの、それが何なのか・・
家柄?土地?家屋?財産?・・
消えゆくものは、泡沫の夢物語で、やはり継ぐべきは「生き方であり、生き様」ではないかと
私は捉えています。
ドン底であっても生きようとしたこと、被爆を言い訳にして腐らない人生を送っていること
これは当事者でなければ経験できないことだけど、生き様としては、引き継ぐことはできる。
みじめであって、無様であっても、生きるということ、生き続けることが、
何より逞しい「生命」を感じる。
父には、一日でも長く生きてほしいと願う日々である。