「自分らしさ」という言葉への違和感について
最近、よく耳にする「自分らしさ」や「自分らしくあれ」という言葉。
SNSを開けば、多くの人が自分らしい生き方を謳歌し、それを発信しています。
「自分らしいって何だろう?」
「自分らしく生きるにはどうすればいいんだろう?」
そう考えていたはずなのに、あまりにも頻繁にこの言葉を聞くうちに、
ある種の居心地の悪さや違和感を覚えるようになった、
という人もいるのではないでしょうか。
そこで「自分らしさ」という言葉への違和感について、少し考えてみたいと思います。
〇もっともらしさへの疑念
なぜ、この「自分らしさ」という言葉に疑念を抱いてしまうのか。
それは、多くの人が語る「自分らしさ」が、
あまりにも"もっともらしく"聞こえるからです。
キラキラと輝く成功者の言葉、
まるで人生の正解を教えてくれるかのような自己啓発書、
そして「あなたもこれで自分らしく生きられる!」と手軽なメソッドを提示する情報商材・・・
それらはすべて、「自分らしく生きることは素晴らしい」という結論ありきで語られています。
もちろん、自分らしく生きることが素晴らしいことであるのは確かです。
しかし、その「素晴らしい」という結論が、あまりにも多くの情報源から、
あまりにも整った言葉で語られると、私たちは無意識のうちに
「これは本当に自分自身の価値観なのだろうか?」
と自問し始めます。
つまり、他人の価値観なのか、自分の価値観なのかが混在、もしくは
他人の価値観を自分の価値観と同じだと誤認してしまって、
居心地が悪くなっていることがあるからです。
〇「自分らしさ」のテンプレート化
また他にも、この違和感の正体は、「自分らしさ」というものが、
あたかもテンプレート化されているように感じられることにあるのかもしれません。
「やりたいことを仕事にしよう」
「個性を活かして人と違うことをしよう」
「ありのままの自分を受け入れよう」
これらの言葉は、一見すると個人を尊重しているように見えますが、実は
「自分らしさとはこういうものだ」
という一つの型にはめているようにも捉えられます。
「本当の自分」とは、誰もが持っているものです。
それは、自分の内側に静かに存在しているものであり、
本来はわざわざ声高に、周囲や他人に主張する必要も
ないのかもしれません。
〇偽りの自分らしさから、本当の自分らしさへ
「自分らしくあれ」という言葉に違和感があるなら、
それはもしかしたら、
あなたが本当に自分らしさを見つけようとしている証拠
かもしれません。
誰かの真似ではなく、誰かに言われたことでもなく、
あなた自身の内側から湧き出る感覚を大切にすること。
「自分らしいって何だろう?」という問いを、安易な答えで終わらせないこと。
流行や他人の意見に惑わされることなく、
ゆっくりと、自分自身の心と向き合う時間を持つことが、
もしかしたら本当の「自分らしさ」への道なのかもしれません。
あなたにとっての「自分らしさ」とは、どんなものでしょうか?



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