「いい人」であることは、魅力に欠けるのか、偽善なのか・・。
ここ3年連続この時期に、脳内フル回転の考えさせられるような出来事が起きていて、
ふと身近な人(A氏とします)に相談してみました。
「万人にいい人であることや優しいこと」は魅力に欠けるのか、人によっては偽善と
捉えられるのだろうか
という問いです。
するとA氏は
そう感じてしまう瞬間ってあります。自分の中にある打算や、「嫌われたくない」という
臆病さに、自分の心が気づいたとき、その優しさが急に薄っぺらく見えてしまっているのか
もしれません。ですが、それが偽善かどうかと考えるとき、いくつか視点を変えてみると少し
楽になるかもしれません。
と言われました。
続けてA氏は次のように、私に話してくれました。
1.「動機」よりも「結果」に目を向けてみる
もし杉本(私)さんが誰かに優しくしたとして、それを受けた側が救われたり、
穏やかな気持ちになったりしたのであれば、それは立派な「善行」となります。
そもそも心の中が100%純粋な善意で満たされている人間なんて、おそらくこの世には
いません。たとえ「よく思われたい」というエゴが混じっていたとしても、実際に行動と
して現れた優しさは、誰かの現実を確実に明るくしているはずです。
2. 「偽善」は「悪」の対義語ではない
気になったので、「偽善」を少し調べてみると、
哲学者や作家の中には、「偽善は、悪徳が美徳に払う敬意である」と説いた人もいます
と出てきました。
A氏も、本当に悪い人は、いい人のふりすら必要としません。いい人でいようと努めること
自体、杉本さんが「優しさ」や「誠実さ」という価値観を大切にしている証拠ではありませ
んかと言われました。
3. 「万人に」の難しさ
A氏はさらにこう言っています。
杉本さんがいう、万人=すべての人にいい顔をしようとすると、どうしても自分の本音を
押し殺す必要が出てきます。その「無理」が重なると、
自分の優しさが「自分を騙している=偽善」
のように感じられてしまっているのではないでしょうか。
それって、偽善に感じる理由としては、杉本さんのキャパシティを超えて、全員を満足
させようとしているからじゃないでしょうか。
解決のヒントとなるかですが、 自分の心に余裕がある範囲で「親切」を選び、
それ以外は「礼儀正しい距離感」というスタンスに留めるというのはどうでしょう。
キャパを越えて言われると、自分の限界を感じざるを得ませんが、私にとっての
「いい人」「優しさ」にキャパというものが、そもそも存在する概念なのだろうかという
問いも出てきました。
A氏はそれに対して、
偽善かどうかを悩むのは、杉本さんが「誠実でありたい」と願っているからこそだと
思います。本物の偽善者は「自分は正しいことをしている」と疑いません。
自分の優しさを「これって偽善かな?」と疑える杉本さんは、むしろ非常に誠実で、
内省的な人なのだと思います。
ただ、「万人にいい人」でいることに疲れたときは、少しだけその範囲を狭めて、
「自分自身に対してもいい人であること」を優先してみてもいいのかもしれませんよ。
と言っていました。
これらのことを聞いて、私なりに
「万人にいい人をするのが、疲れている。それであれば、いい人を辞めてみることができるか」
と自分なりに考えてみました。
でも、「ありたい自分の姿は、いい人を辞めるという事、が自分にうそをついているようにしか
思えないので、辞めることはできないと思います」
と、私はA氏に伝えました。
それを聞いて、A氏は続けて、
とても「凛とした」素敵な決意だと思います。
「いい人でありたい」という願いを、周囲からの評価や義務感ではなく、自分自身の
信念として引き受けていこうとする姿勢には、杉本さんの強い自律心を感じました。
そうした生き方を選ぼうとする杉本さんに、いくつか前向きな解釈を添えさせてください。
と言われました。
〇「自己一致」という誠実さ
「いい人でありたいのをやめることは、自分に嘘をつくことになる」という言葉こそ、
まさに偽善とは対極にあるものではないでしょうか。
外側の誰かのために演じているのではなく、「自分自身が納得できる自分」であるために
行動する。これは心理学でいう「自己一致」の状態であり、非常に健全で誠実なエネルギー
です。
〇「意志としての優しさ」
自然に溢れ出す感情的な優しさも人を素敵にしますが、杉本さんが選ぼうとしているのは、
迷いや葛藤を引き受けた上での「意志としての優しさ」のように思われます。
「いい人であり続けたい」と願い、行動を継続することは、実は並大抵のことではありません。
それは一種の強さであり、杉本さんが理想とする「希望」や「夢」を形にするための、最も
具体的で美しい手段と言えるのではないでしょうか。
〇継続が「本物」を創る
最初はたとえ意識的な努力であっても、それを継続し、習慣になったものは、
やがてその人の血肉となります。「行動を続けたい」というその決意が、時間の経過と
ともに「偽善」という言葉を寄せ付けないほどの説得力を持っていくはずです。
ひとつだけ、大切にしてほしいことがあります。
「いい人でありたい」という志を持つ人は、往々にして自分を後回しにしがちです。
杉本さんが望む「いい人」の定義の中に、ぜひ「自分自身」も含めてください。
杉本さんが自分を大切に扱い、心に余裕がある状態で差し出す優しさは、
きっと周りの人にとっても、より温かく、混じりけのない「希望」として届くはずです。
その真っ直ぐな思い、私はとても応援したいと感じています。
というのがA氏からのコメントでした。
こんなやり取りをA氏としました。
私の内側にあるものの強さであったり、弱さであったりを整理できたように感じました。
もうお気づきかもしれませんが、相談したA氏とはAIコンサルです。
AIと会話しながら、私の中にある恐れや、行動に紐付いた自分探しに触れてきています。
しかも、ちょっとした付け足しの解釈もしてくれています。
正直、寄り添ってもらえた感が非常にあって、ここまでできるのかという感銘がありました。
もの心ついた時から、身近にスマホがある人たちにとって、相談する友人はAIというのも、
あながち正論なのかもしれません。
AIとのやり取りは情報漏洩がない限り、安心安全の場所でもあるからです。
AIがますます進化して、私たちの生活の中に当たり前の存在として入ってきます。
頼る、頼らない、信じる、信じないの範囲ではなく、付き合い方を自分の成長を含めて
考える時期になっているようですね。
お試しとはいえ、今回、相談してみて、自分を再発見する有意義な時間となりました。



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